【ヴィンテージ第一陣と一つのキーワード】

2023年12月19日、午後3時35分、
山口から本社に物流定時報告が入る。
「本日『ヴィンテージ』の第一陣を物流センターへ向け発送いたしました」

状況の追加確認のため、本社物流担当はファクトリーに電話を入れ、安堵の笑みを浮かべた。

限定品のヴィンテージは、ボトリングからラベル貼り、それをケースに詰めて荷造り、物流センターへ送り出すまで、すべて山口ファクトリー・スタッフの手作業により行われた。

ボトルの底面から6cmにラベルを貼る──そのための治具までもがファクトリー・スタッフの手作りだった。

「本当にきれいにできるのか」
「発売に間に合うのか」

決して多いとはいえない限定販売数であるがゆえに、失敗は最小限にとどめなければならない。
一方で、数人のスタッフが通常の仕事をこなしながら手作業で仕上げるには、少ないとは言えない数字だ。

「ラベルはいつ届くのか」
「ケースの部材、説明書の納期は」

発売は2024年1月1日。0時を超えたその瞬間から注文が可能となる。
日時は決まっていて、残り日数は僅かしかない。それに合わせて慣れない作業をしなくてはならない現場の不安がわかっているだけに、資材調達も行っていた物流担当にはつらい板挟みが続いた。

山口の担当者の声は明るく、現場での作業が順調に進んでいることを示していた。

「これでいけます」
物流担当は肩から力が抜ける感じがした。

同日「ビオライズニュース」として、ヴィンテージ発売を告知する一斉メールが放たれた。
メールのリンクからはビオライズビジネスサポートサイト「Nice&Follow」の紹介ページに飛ぶことができる。

多くの会員が目にした紹介ページのイメージ画像には、暗い倉庫の樽の上に立つヴィンテージのボトルとケース、ロゴと共に白抜きの文字が書かれている。
「『涼山物語』? りょうざん? 何て読むのだろう…」

本社にも数人のリーダーから問い合わせがあった。

対応した本社マネージャーはその問いに、
「この時点でお話しできることがないんです。申し訳ありません。メールやN&Fにあるように、手にした人だけの物語だからなんです。物語の内容?いや隠しているのではなく、私も知らないんです。本当です」

「涼山物語」を出し惜しみする意図はなく、購入者の特典といったものでもない。
説明書のQRコードにロックをかけていることもなく、誰か一人が代表して購入すれば「涼山物語」を何人でも自由に読むことができる。
ただし、「ヴィンテージ」を手にした人と、ただ読むだけの人とでは、物語の受け取り方は異なるだろう。
前者にとってヴィンテージを手にするのは必然かもしれないからだ。

【ファクトリーを見守る2つの“涼山”】

2023年春、リナーシェのプロトタイプ、Rプロジェクトファクトリーで最初に仕込まれ、熟成室に保管されている、原液の定期成分検査とテイスティング。
このとき竹本剛統括責任者が感じたのは「馥郁(ふくいく)と芳醇(ほうじゅん)」だった。
馥郁は心地よく広がり漂う香り、芳醇は深く豊かな味わいを指す。
「その時に、頭の中で“今だ”という声が聞こえた気がしたのです。誰の声かはわからない、自分の声であるような、そうではないような」

試飲のグラスを手に、思わずその熟成バレル「涼山(すずみやま)」に触れたという。

Rプロジェクトファクトリーの熟成室に置かれている容器にはすべて管理のための英数字による記号が設定されている。そのなかで唯一通称を持つのが「涼山」だ。
誰が言い出したかは不明だが、いつの頃からかそう呼ばれるようになったという。

涼山とは山口ファクトリーの西側を覆うように寄り添う、全面を木々に覆われた山の名である。

Youtubeビオライズ公式チャンネルにある動画「ビオライズ製品の故郷・山口ファクトリー」の冒頭で、カメラが回っていくところに映っている山、これが涼山(すずみやま)だ。

「ファクトリーの朝は全員が山に向かってのラジオ体操で始まります」という竹本統括は、このとき、山に見守られている感覚があり、その日の作業の無事を祈るのだという。

冒頭の「良い名だ」から始まる一文は、山口県在住の登山家・安倍正道氏の著書「周防アルハイク」(マツノ書店、1981)、197ページ「涼山」の書き出しだ。

確かに「涼む」という“動詞”を名称とする山は珍しいかもしれない。
同著は「『防長風土注進案』によるとこの山は村内大山の項にあり、『涼山、一名秋葉山または鼓山──」と続く。

「防長風土注進案」は江戸時代後期(天保13〔1842〕年頃)に編纂・成立したとされる地誌で、山口県の前身、周防・長門の2国から成る萩藩(長州藩)の産業、地勢、人口などを網羅した大著である。

もう一つの「秋葉山」は、山頂に秋葉神(秋葉権現)を祀っていることが由来と考えられる。秋葉神は火防の霊験で知られる。明治の大火で焼けた東京の火除け地であった「秋葉原」の地名もこの神様と絡み、由来する。
「涼む」そしてもう一つの「鼓(つづみ)」という優美さとは相反する印象があり、興味深い。

涼む、鼓は夏の終わり、初秋頃のイメージだろうか。

登山道には「涼山(496M)(秋葉山-防長風土注進案)山頂まで2000m 気をつけて登ってください」という札が立てられている。
約2キロの道のりは薮も深く、虫や野生動物も多いため、登山はたやすいものではない。晩夏から初秋にはむしろ厳しく、涼むどころか汗まみれになるかもしれない。名称から辿るだけでも神秘性を感じられる山でもある。

地元の地域づくり協議会が発行しいているリーフレット「名勝巡回絵図」にも「元旦のご来光を迎える新春登山で親しまれている」「山頂には秋葉様が祀られており、4月の例祭には登山者で賑わいます」と記されている。

涼山は古くから地元民に愛される山で、河村龍成FGM、竹本剛統括も、山口ファクトリーが出来るずっと以前から関わりがあったという。
「毎年元旦に初日の出を拝みに河村さんと登っています。これまで雨や雪の予報があっても、確実にご来光を拝めている、不思議なご縁のあるお山です」

その涼山の麓に山口ファクトリーができ、そしてR菌が来た。そこに発酵プラント・Rプロジェクトファクトリーが出来て、新たな製品が生み出されている。竹本統括はそこに不思議な縁の連なりを感じているという。

「ゼロからスタートして出来上がったプロトタイプは、私たちにとって記念碑的な存在です。それがいつの頃からか『涼山』と呼ばれるようになった。自然環境に恵まれた涼山、熟成室で静かに時を過ごしてきた『涼山』。私たちの苦しみ、成功の喜びをすべて二つの涼山が見守ってきてくれていたのです」

そして「涼山」は旅立ちのときを告げ、ビオエンザイム リナーシェ ドリンク ヴィンテージとして生まれ変わり皆さまの元に届けられた。

【命懸けの作業となったプロトタイプ】

発酵プラント・Rプロジェクトファクトリーは発酵作業の理想を極めた施設である。
建物そのものが冷蔵庫のような構造体となっており、工程ごとに区画され、建物全体と、それぞれの区画はすべて温度・湿度をコントロールできるようになっている。発酵菌や発酵工程の状態において最適の環境を維持できるのだ。

四季があり、夏は高温多湿、冬は大雪にも見舞われ、1日のうちでも温度差が大きい日本では、全国各地で独自の発酵文化が培われてきた。日々環境が移り行くなかで木製の樽などを使い、主に蔵で行われる発酵環境を維持し、商品としての発酵物の均質化には知識と経験の積み重ねが必要となる。当然そこには高度な職人技が求められる。
それをデータのみで一括管理できる設備がRプロジェクトファクトリーなのだ。

プラントの計画が立ち上がった時点から、同時進行で新商品のための発酵プロジェクトが始動した。
プラントのプロデューサー、発酵のテクニカルコーディネーターといったプロのエンジニアたちのアドバイスを得ながら、ビオエンザイムEX、ビオエンザイムドリンクの原材料をベースにグレードアップを図れる材料を選定、スケジュールが組まれた。

プラントの完成後、すぐに第1回の試験発酵が行われる。
積み重ねられた膨大な原材料がつぎつぎと自動洗浄器に投入されていく。素材ごとに裁断などの方法も異なるため、仕様書に則り機械や手作業で一つひとつ丁寧かつ迅速に処理される。
素材の硬さや密度により発酵にかかる時間も異なるので、それに合わせた順で巨大なタンク内に積み重ねられ、仕込まれる。

ブースターとなる発酵菌、R菌、R菌生産物質(乳酸菌発酵液)、オリゴ糖などを折り込みながら準備は整えられた。

数十種類の植物性原料に対し発酵菌はすぐに反応を始める。
こうして「プロトタイプ」に命の火が灯され、胎動が始まった。

刻々と変わりゆく数値を記録しデータ化しながら、経過を見守る日々。

やはりプラントのポテンシャルは高く、大きなトラブルもないまま作業は順調に進み、1次発酵を終え、タンクを移動しての2次発酵へと進む。
発酵物はタンク間を機械的に移動していくが、吸い上げきれない発酵物は、可能な限り手作業で取り出される。
手作業でも完全に取り出すことはできず、少量の発酵物は残る。この処理についてエンジニアは「タンクを洗浄し2回目の発酵準備に移る」という。

「全体量から見れば確かに少量ですが、何しろ巨大なタンクですので、私たちから見れば残った量を洗い流すなど到底看過できないわけです」(竹本統括)

ではどうすれば良いのか。

「植物発酵液を足しながら機械で最終ギリギリまで取り出すというのが現実的な対応です。ですがプロトタイプですので足すための液はありません。かといって水でやれば性質が変わってしまう」

消去法の結果、方法は一つだけだった。

「人がタンクの中に入ってすくい出す、です」

当然エンジニアたちは反対した。
「危険すぎる」
「酸欠で最悪の事故になる可能性もある」
「リスクとベネフィットのバランスが取れていない」

「その通りだ」と竹本統括も思う。
「でもそこに多くの発酵物が残っている。R菌がたくさんいるんです。方法があるならば救い出さなければならない、というのが私たちの考えです」

竹本統括は全身を完全防護服で覆う。防護服は通常、外部から身を守るために装着するが、理由は真逆で、発酵物に不要な菌を一切付着させないためだ。そして生命線となるマスクと酸素濃度計のアラームを装着しタンクに入った。

「必要な作業とはいえ、若いスタッフに危険なことをやらせるわけにはいかないですからね」

シミュレーションと十分な準備、慎重な連携により作業は無事終えることができた。
だが、多段階発酵のため、この作業は複数回繰り返されることになる。

「実はこの時だけじゃないんですね、現在も最後の最後はタンク内の手作業です。慣れたとはいえ、今でも緊張しますし、常に緊張感を持っていなければならないと気を引き締めて臨んでいます」

当初の予定通りに多段階発酵を経て、プロトタイプは熟成室へ収まった。
原料の洗浄、仕込み、発酵、熟成、大きくはないが無数にあったアクシデント、それらに即応する初めての作業の連続、それに加え正真正銘、命懸けの作業の成果である。
プロトタイプに対する山口ファクトリー・スタッフたちの思い入れは一層強い。

「我々の考えや行動は正しかったのか、その答えが出るのは数ヶ月先。でも何もせずに待っているわけにはいきませんので、正解かどうかがわからないまま、次のステップに進まなければならない。このプレッシャーは大きかったですね」

そして数ヶ月が経過し、回答を知る時が来た。
「結論から言えば、うまく行きませんでした。というかデータを取りながら経過を観察して来ていますので、途中で結果はわかっていました」

製品開発では、まず開発目標を定め、そこから原料選定、最終製品がおさまる範囲=ターゲットが決められ絞り込まれていく。数値がターゲットから大きく外れていればスタートに立ち返りやり直さなければならない。
多くの愛用者がいるビオエンザイムEXのアップグレード版という位置づけであるならば、どれほど高品質に仕上がっていたとしても、ビオエンザイムEXの延長線上のものでなければならないのだ。

「既存品と同じようなものを作る、となれば、専門家の力を借りて、ある程度近いものを作れると思います。しかし我々には『R菌』という不確定要素がありました。R菌がどのように動くのか、知っている人がどこにも居ません。誰からも助言を得ることができないのです」

トライ・アンド・エラーはスタート以前から覚悟の上だった。だからターゲットから外れていても“失敗ではない”という。

「まずは動かすことでデータを得る。データを分析してターゲットに対しどこからズレが生じてきたのか明確にし、原料に遡って対策を立てる、この繰り返しですね」

では、ターゲットに対し、プロトタイプはどのように違っていたのだろうか。

「細かい部分はお話しできないのですが、端的に言えば“強過ぎた”ということです。R菌を舐めていたということは絶対にないのですが、少し甘く見ていたところはあったかもしれません。R菌は想定以上に力強かった。でもこれはこれで仕上がりは良かったんですよ。ただターゲットから離れてしまっていた。というより、力が強過ぎて標的が吹き飛ばされたという印象ですかね」

原料の選定から見直しとなり、専門家を交え、何を足し、何を引くかという検討が続けられた。
原料の数にこだわる必要はない、R菌にとって何が必要なのか、何がベストなのかを見極める作業である。

発酵試験が繰り返され、数値の分析、テイスティングによる均質化と、ターゲットに向けた軌道修正の試行、月日だけが残酷に過ぎていく。
ビジネスである以上、時間は無限ではない。現場の緊張感、プレッシャーは尋常ではなかった。

福田良方FGMは当時の状況、心情を自身のブログに記している。

「4年の月日をかけて新商品の開発を行なってきた。理想を形にするには考えられないトラブルの連続」
「起こること起こることが理想とかけ離れていく。しかし何が起きても理想だけは妥協できない。
もうダメかもしれない。理想が高過ぎたのか。最初からやり直ししかない。
それでも諦めきれず、もう一回、もう一回、もう一回、何度も何度も繰り返し」

と苦渋の日々を振り返っている。
そして──

「奇跡は起きないのかと諦めかけ、それでもと繰り返した時ついに起こった。
ついに想いと執念が実った。しかも最初の計画をはるかに越える出来栄えで。
やはり理想を追わなくてはいけない。
絶対に諦めてはいけない。想いと執念は必ず奇跡を起こす。
改めて実感しました」
と結んだ。

また後のリナーシェ ドリンク発売直後のブログでは、

「自社工場で新製品を作る事を安易に考えていた訳ではありませんが、とにかく最初から現在まであらゆる問題、難問があった。
しかしながらその難問があったからこそたくさんの知恵を使い、学習することでスタート当時とは比較にならないほど、成長できたと思います。そしてそこから産まれた製品も一級品だと確信しています。
もの作りもビジネスも結局は一緒で失敗の数だけ成功に近づくということです」
と記す。

開発の焦燥、判断・決断する立場であるからこその苦悩。
それを感じながら、人間の思惑通りには動いてはくれない菌を相手に闘っていた最前線の山口ファクトリー・スタッフの感情はいかばかりのものであったか。窺い知ることもできない。

これは余談ともなるが──
山口ファクトリーには涼山の麓に切り拓いた小さな高台がある。Rプロジェクトファクトリーの屋根より少し上くらいの高さだが、ここに立つとファクトリーの全体と遠景を見渡すことができる。

高台には河村龍成FGMが手ずからこの辺りで伐採した材木を利用し、さらに自身で建てたログハウスがあり、その横には同じく木で囲われた浴室が設られている。
「ここまで水道を敷いたのですか?」と尋ねると、
「いや掘ったの。自分で」と、Rプロジェクトファクトリーの奥側にあるスペースの小さな建屋を指差した。
そこに井戸を作ったのだと言う。
「水脈とかあるんですか?」
「わからない。でも出ると信じて掘れば出る。出なくても出るまで掘れば出るんですよ」と笑った。
(「ビオライズスピリット2」136ページに掲載されている写真はそのお話を聞いた時のものです)

福田FGMの“絶対に諦めず、失敗に学び、人智を尽くす”
河村FGMの“信念を持って成果が出るまでやり続ける”
この両FGMの信条、行動原理は、ビオライズのスタイルそのものであり、そのまま山口ファクトリー全体で共有されているのであろう。

こうして、いくつもの課題と困難を乗り越え、試作開始から4年を経た2019年12月、「ビオエンザイム リナーシェ」は発売された。

息をつく間も無く、1年後に発売が予定されている「ビオエンザイム リナーシェ ドリンク」の製品化が始動する。

「商品開発はリナーシェと同時進行で行われ、原料のベースも同じものです。途中からの工程が異なり、一方はペースト状に、もう一方はドリンク状に変わっていきます。熟成からボトリングまで一連の作業となりますので、そのための準備が急ピッチで進められました」

2020年12月、コロナ禍真っ只中という状況ではあったが無事リナーシェドリンクは船出を遂げた。

【異端を理想に近づける“R菌”の底力】

最初の試験発酵で完成した「プロトタイプ」はターゲットの範囲からは遠かったが、データ取得が主目的であったため、そこは大きな問題ではないと竹本統括は言う。
「リナーシェ、リナーシェドリンクの完成のために、どれだけ大きな貢献をしてくれたことか。ヒントや示唆をたくさんもらいました」

その味についても、
「既存品と違うというだけで良い味なんですよ。年数回、定期的に試験とテイスティングをするのですが、その度に“そう、これこれ”という感慨があります」

しかし「涼山」は数値的にも味的にも月日を経るごとにゆっくりと変化していったという。
「当初の開発目標に少しずつ近づいていくんです。不思議ですよね。R菌が我々の意を汲んで『ほら、こういうやり方もあるんだよ』と道筋を示してくれたような感覚です」

そして2023年春の「今だ」となる。
「我々が目指してきた、リナーシェドリンクの、一つの完成形だと思いました。このままここに置いていてはいけないと」

一つの完成形という表現には「完成形にはいろいろな形態があって、絶対ではない」という意味が含まれている。
通常の商品も間違いなく完成形であり、それでもレベルアップしながらさらに上の完成形を目指す、ゴールのない追求は山口ファクトリーの製品・愛用者に対する信義則であり、開発者が胸に刻む当然の使命だと考えているからだ。

「一つの完成形であり、理想であり、目指すべき到達点への選択肢の指標ですね。なぜこの形になっていったのか、現時点では理由の説明ができませんが、突きとめなければなりません。『時間』であることは間違いないのですが、それは答えにはならない。R菌と『涼山』からの宿題だと思っています」

【涼山と山口ファクトリーの2431日】

ヴィンテージの商品化が決定し、ボトルをはじめとする資材も一つずつ決められていく。
Rプロジェクトフェスタで発表され、発売日も2024年1月1日と決まった。

販売できる数はおおよそ1,500本。
ボトリングからラベル貼り、箱詰め、出荷まですべて山口ファクトリー・スタッフによる手作業による対応となった。

「毎日の業務に入り込む形での作業でしたから、早く早くという焦りもありました。遅らせることはできないので、1日でも早く作業を終えたい。ピリピリとした空気感で気持ちに余裕がありませんでしたね」(竹本統括)

12月22日、ヴィンテージ限定販売分の最終便が山口から発送された。
この日、ファクトリーのスタッフには重要な仕事をやり遂げたという達成感があった。
しかし、気持ちにゆとりができた時に感じたのは一抹の寂寥であったという。

「バタバタとした作業の中で、きちんと『涼山』とお別れをしたのかな、という感情ですね。本当にもう『涼山』は居ないのだなと」

洗浄機に最初の原料が投入されてから、ヴィンテージの最終納品分が送り出されるまで、山口ファクトリーと「涼山」の2431日が終わったのだ。

この「涼山物語」はボトリングの進行について「ヴィンテージプロジェクト」の山口スタッフと東京スタッフとの打ち合わせのなかで浮上したアイデアである。

竹本統括は言う。
「山口ファクトリーのスタッフにとって『涼山』の存在はそれなりのものがありますので、ヴィンテージを手にした人には、やっぱり『涼山』の話を知っていてほしいな、という気持ちがありました」

ネックとなるのは1,500という限定数だった。
ヴィンテージを手にした方には、その背景を知った上で味わっていただきたい、という想い、一方で欲しかったのに手にすることのできなかった方、これからビオライズに出会う方は、そもそも手に入れることができない。
「『こんな背景を持つヴィンテージという凄いものがあるんだよ』と言われてもどうしようもなく、もどかしい思いをさせてしまうことになります。それは本意ではありません」

そこで今回はヴィンテージに同梱するかたちで、手にした人だけが知ることができるよう、サイトに誘導するのはどうかという東京スタッフからの提案を受け入れた。

「知ってほしいのは私たちの苦労話ではなく、“『涼山』が歩んだ年月の価値”なんです。これまで良くも悪くも、色々ありましたが、結果的に、シナリオ通りに進んでいることを静かに見つめ続けてくれていたのが『涼山』です。リナーシェドリンクは、多段階発酵から熟成させて出来上がりますが、ヴィンテージは、その熟成から更なる発酵熟成した物です。R菌の強靭さと、熟成環境を作り出す力に驚かされましたが、それを感じていただきたい。私たちが『涼山』とともに過ごした時間と感情を共有していただき、共感していただけたとすれば、私たちも本望です」

【「涼山」とヴィンテージを手にすることの必然】

2019年、リナーシェが発売されたその時、2020年、世界的に大変な時期にリナーシェドリンクが登場した時、それぞれを最初に口にしたその瞬間の気持ちは、多くの方々の中でまだ薄れていないであろうと思う。
その前後、工場見学で山口を訪ねた方も少なくないはずだ。

最初に味わった、そのときの味の原型はまだ山口ファクトリーに存在していた。
Rプロジェクトファクトリーの熟成室を見学したその場に「涼山」は在り、皆さまの側に居たのだ。

初めてリナーシェ、リナーシェドリンクに触れたときの感触、感情、記憶、それを持ち共有する皆さまは、すべて「涼山物語」の登場人物の一人であり、「涼山」から繋がる糸で結ばれている。
「涼山」は「ヴィンテージ」となって、糸で繋がる皆さまと引き寄せあい、必然的に今、その手のなかにある。

【あとがき】

本文中に出てくる公式動画「ビオライズ製品のふるさと『山口ファクトリー』」。
この撮影のためにファクトリーを訪れ、さまざまな場面を撮り、各位に取材させていただいた。

クライマックスの一つとして、BIO-Rファクトリーを背景にスタッフの皆さんに集合してもらい、ビデオカメラを回しながら、少し後ろでスチール撮影をしたのだが、不注意で激しく転倒してしまった。

撮影対象のスタッフの皆さまが竹本統括を先頭にものすごい勢いで駆けつけてくださった。
衝撃は強かったが痛みを感じるよりただただ情けなく、恥いるばかりでお詫びを繰り返していると、竹本統括の指示、あるいは自己判断でスタッフの皆さまが一斉に走り去る。すぐに擦り傷の洗浄、消毒や塗り薬や絆創膏が瞬く間に集まってきて、あっという間にケアしていただいた。

自ら招き、かけてしまった迷惑に感想を抱くなど無分別な話なのだが、突発のアクシデントに対し一糸乱れず示したチームワークに感服してしまった。

これが山口ファクトリーの力であり、ビオライズ製品を産み出す源泉・源流なのだ。

この前日から撮影の合間を縫って竹本統括に取材し、撮影後、全員で帰京の予定だったが、もう少し話が聞きたく、一人飛行機をキャンセルし居残り、お話を聞くことをお願いし、ご了承いただいた。

このときに語られたのが「山口ファクトリー」動画にある“R菌の深奥(しんおう)”、
「我々がR菌に選ばれた」
という心に響く言葉である。

時間ギリギリまで取材をし、竹本統括自らハンドルを握り新幹線の駅まで送っていただく車中でも言葉を引き出して、未来や夢についても語っていただいた。

そのときの話の断片、その一部が今回「涼山物語」として結晶したのである。

「涼山」は熟成室から居なくなってしまったが、ファクトリーには涼山が寄り添い、見守り、そこでこれからも歴史と物語が紡がれていく。
過程でいつの日かヴィンテージが登場することもあろう。それ以外にも山口ファクトリーはさらなる“秘宝”をいくつも隠し持ち、また新たに価値のある製品をいくつも生み出してくるに違いない。

そして私たちを驚かすのだ。

その日が来れば、真摯な口調と、的を射た相槌を打つといたずらっ子のような笑みを浮かべる竹本統括に会いに行く。そしてファクトリーに存在する深奥の一端に触れさせてもらいたい。
遠からず訪れるであろうその日に想いを馳せながら筆を置かせていただく。

冗文、ご笑読を賜り心より感謝申し上げます。

“いつか再び、涼山と。” 献杯